現時点で偏差値が40あるなら早慶は楽勝!

こんにちは、KEIです。

 

現時点で偏差値が40あるなら、
早慶には合格できると僕は思っています。

 

このように言うと、

「嘘つくな!」
「無理に決まってるだろ!」

と批判が殺到するのですが、
冷静に考えてほしい事があります。

 

現時点で偏差値40の人が
半年後に早慶に合格する事と、

150人の兵を引き連れて
今すぐ3千人の敵軍を打ち破る事、

どちらの方が難しいでしょうか?

 

僕の目から見れば、

今すぐに150人の兵で
3千の敵軍を打ち破る事と比べれば、

現時点で偏差値40の人が
半年後に早慶に合格する事の方が

はるかに簡単に見えるのですが、
間違っているでしょうか?

 

精兵150騎で敵軍3千を撃破。

これは実際に起こった事です。
1185年の屋島の戦いです。

 

当時、屋島(現在の高松市)を
本拠地としていた平家勢は、
瀬戸内海に防御線を固めていました。

 

その様子を摂津の国から見た
源氏の総大将である九郎義経は、
「海から屋島を攻撃するのは無理」
と判断しました。

源氏は平家とは違って
強力な水軍を持っていなかったからです。

 

なので、義経は、
摂津国から阿波国・勝浦に船で渡り、
陸路を通って屋島の背後から
攻撃を仕掛けようと考えました。

その進路図はこちら

出典:wikipedia 屋島の戦い

 

しかし、戦目付の梶原景時が
この義経の意見に反対します。

阿波から屋島に向かう道は険しく、
平家に味方する地元の武士が
とても多かったからです。

 

だから、景時は、

「梶原水軍の到着を待ち、
全軍で総攻撃を仕掛けるべき」

と義経に提案したのです。

 

でも、義経は、
この景時の意見を却下します。

「梶原水軍の到着を待っていたら、
その間に平家勢が守りを固めてしまう」

「それに、船戦を得意としない源氏が、
海の戦いで平家に勝てるわけがない」と。

あくまで義経は船で阿波の国に渡り、
陸路で屋島に向かう事に拘っていました。

 

ここで問題が起こります。

その日の夜から嵐になり、
船を出せない状況になったからです。

 

しかし、義経は、
この嵐をチャンスと捉えました。

「この嵐の中で船に乗るとは、
まさか平家も思わないだろう。」

「この強い北風に乗っていけば、
本来は3日かかるところを1日で阿波に到着できる」

と考えたのです。

 

そして、義経は景時の反対を無視して、
嵐の中で船を出しました。

源氏勢は4万の大軍でしたが、
この時に義経に従ったのは150騎でした。

 

強い北風に乗って
わずか1日で阿波国・勝浦に着いた義経は、
地元の武士である近藤親家と
その配下100騎を味方にしました。

そして、自分たちが
少人数である事を平家に知られないために、
近藤親家に命じて山に火を放ちました。

 

その煙が屋島を覆った時、
義経と配下150騎はときの声を上げながら、
平家勢の背後に奇襲を仕掛けました。

 

平家勢は、源氏勢は
海から来るとばかり思っていたので、
陸の防御は固めていませんでした。

また、まさかたったの150人で
攻撃されているとは思わなかったので、
慌てふためいて敗走しました。

 

こうして屋島の戦いは
源氏勢が勝利を収めました。

この後、船で沖に逃げた平家が、
美女に扇を持たせて源氏勢を挑発し、
那須与一がこれを射落としたという
伝説も残っています。

 

この話から僕は何を伝えたいのか?

 

「戦力が劣っているからといって、
必ず負けるとは決まっていない」

という事です。

 

平家勢:3,000
源氏勢:   150

戦力だけを見れば
平家勢が圧倒的に有利ですが、
それだけでは勝敗は決まりません。

常識にとらわれない義経の戦略と戦術が、
源氏勢に勝利をもたらしたのです。

 

・嵐の中で船を出すわけがない
・わずか150騎で3,000の敵を攻撃するわけがない

これらの常識を打ち破った
義経の戦略と戦術が光ったのです。

 

また、

・山に火を放って煙で自分たちの姿を隠した
・だから少人数である事がバレなかった

これも大きかったと思います。

 

 

受験勉強でも全く同じです。

恵まれた戦力を持っていても、
(つまり高い偏差値を持っていても)、
それで合格するとは限りません。

実際、僕自身も高校受験では、
A判定しか出したことがない高校に
不合格になりました。

 

※その詳細はこちら

高校入試でKEIが経験した悲劇

 

それに対して、

戦力では劣っていたとしても、
戦略と戦術が勝っていれば合格できます。

実際、僕自身も大学受験では、
1回もA判定を出したことがないのに
早慶にダブル合格しています。

 

僕自身を振り返ってみると、

高校受験時の方が
圧倒的に偏差値は高かったです。

大学受験時の方が
圧倒的に偏差値は低かったです。

 

そして、

高校受験時には
A判定しか出したことがない高校に
不合格になったのに、

大学受験時には
一回もA判定を出したことがないのに、
早慶にダブル合格しました。

(早慶合わせて4学部に合格)

 

この差は何かと言うと、
まさに「戦略」と「戦術」です。

高校受験生時代の僕には
戦略も戦術も何もなかったのに、
大学受験生時代の僕は
かなり緻密にこれらを練っていました。

 

僕が大学受験生時代に
一度もA判定を出したことがなかったのは、
古文と小論文と英作文を捨てていたからです。

 

特に、古文に関して言えば、
高校の定期テストでも赤点を連発していて、
模試の偏差値も40前後でした。

古文単語なんてほとんど知りません(笑)

 

そのまま古文の勉強を全くしないまま、
古文が受験科目に入っている早稲田大学を
僕は受験しました。

同様に、小論文と英作文を勉強しないまま、
これらが出題される慶応大学を受験しました。

 

その結果はご存じの通り、
両方とも合格です。

古文・小論文・英作文を
全く勉強しなくても合格できる
「戦略」と「戦術」を練ったからです。

 

大学受験生時代の僕は
「戦力的には圧倒的に劣っていた」と
言わざるをえません。

古文や小論文を勉強しなかったので、
それが原因で模試の偏差値が下がり、
A判定なんか出したことがありません。

屋島の戦いの源氏勢のように
圧倒的に不利な状況です。

 

でも、戦力では劣っていても、
戦略と戦術次第で勝つことができます。

義経が常識外れの戦略と戦術で
平家勢を撃破したように。

僕も、古文や小論文を捨ててしまっても
合格できる戦略と戦術を練ったのです。

 

義経の戦略と戦術については
あまりにも常識外れであったので、
梶原景時に猛反対されました。

 

僕も同じです。

古文・小論文・英作文などの授業に
全く出席しなくなった僕を見て、

周りの人たちは
「アイツは絶対に落ちる…」
と言っていました。

 

つまり、

周りの人たちから見て
絶対に落ちると思われるくらいに
戦力的には劣っていても、
合格する事は可能だという事です。

 

それを実現した僕としては、
「今の偏差値が40前後」という事くらいで
早慶を諦める人が理解できません。

 

僕は自信を持って言えますよ。

現在の偏差値が40前後だとしても、
戦略と戦術次第では
半年後に余裕で早慶に合格できると。

 

戦力が劣っているからといって、
それだけで諦めるのはやめましょう。

諦めずに頑張ってください!

 

【NU生の皆さんへ】

 

源義経が梶原景時に猛反対されたように、
周囲の人から猛反対され常識外れすぎた
僕の受験勉強の戦略と戦術。

それくらいに常識外れであっても、
余裕の早慶ダブル合格につながった
僕の受験勉強の戦略と戦術。

 

それはNU通信の

【3】ヤマ勘で早稲田に合格する方法
【8】KEI の受験勉強の戦略とは
【9】KEI の慶應義塾大学合格戦略
【10】KEI の早稲田大学合格戦略
【11】苦手科目(分野)得点戦術

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