こんにちは、KEIです。
「やりたい事が見つかりません…」
「だからやる気が出てきません…」
このような質問(愚痴?)が
よく僕のところに届きます。
はっきり言いましょう。
それは嘘です。あなたには
絶対にやりたい事があるはずだし、
やる気が出ないのではなくて、
自分自身でやる気を消しているだけです。
どんな人間にも
必ず「欲」があります。
強い弱いの差が
多少はありますが。
生まれてから一度も
食べ物を食べたことがない人はいませんよね?
つまり、あなたには
「食欲」があります。
生まれてから一度も
寝たことがない人はいませんよね?
つまり、あなたには
「睡眠欲」があります。
次元が違う話ではありますが、
これらと同様に、
あなたには将来やりたい事
つまり欲があるんです。
しかし、その欲・やりたい事を
あなたは自分自身で封じ込めています。
例えば、
それをやりたいと言ったら、
親や教師から反対されるとか。
それをやったところで、
自分が成功できるわけがないとか。
そうやって
「環境」や「常識」に縛られる事で、
あなたは自分の世界を小さくしています。
その小さい世界の中だけで考えているので、
やりたい事が見つからないんですよ。
そうではなくて、
環境や常識の束縛から解き放たれて
広い世界で物事を考えれば、
絶対にやりたい事はあります。
本来は絶対にやりたい事はあるのに、
それを自分自身の手で握りつぶしているんです。
一つの事例として、
僕自身の話をしましょう。
僕が生まれ育った所はかなりの田舎で、
大学進学率は10%もありません。
当然、両親は高卒ですし、
親戚中を見回してもほとんどが
中卒か高卒です。
書店に行っても
参考書や問題集は売っていませんし、
高校生を対象とした塾は
一つもありませんでした。
そんな環境から、僕は、
「早慶を受験する!」と言い出しました。
周囲の人たちは
「絶対に無理だ!」と笑っていました。
これが環境と常識です。
僕が生まれ育った環境は
早慶を受験するような環境ではなく、
「早慶なんて絶対に無理!」というのが
あの世界での常識だったのです。
僕も高校に入学してからは、
この環境と常識に染められて
生きていました。
だから、当然のように
やりたい事は見つからなかったし、
やる気も出ませんでした。
その結果…
僕は定期テストで赤点を連発し、
赤点補習をゲーセンに行ってバックレて
職員室に呼び出され、
罰として出された課題も
提出せずにもっと怒られる。
こんな事をやっていました。
模試の偏差値もどんどん下がって、
40台になっていました。
でも、僕は、
このまま終わるのは嫌だった。
勇気を出して覚悟を決めた。
決断して行動した。
環境や常識・他人の価値観の呪縛から
解き放たれて自由になるために。
その2ヵ月後。
僕の偏差値は
70まで回復しました。
その後も70台後半まで偏差値は上がり、
早慶にダブル合格しました。
その第一歩は、
「自分が早慶を受験するなんて
言ったら笑われる…」
「自分が早慶に合格できるわけがない…」
という環境や常識・他人の価値観を無視して
自分の意志を貫き通した事です。
それがなければ、そもそも
受験勉強をする意欲が出てきませんから、
合格できるわけがないんですよ。
今回はさらに踏み込んで
言っておきたい事があります。
僕がそこまで早慶に行きたかった
理由についてです。
正直に言うと、僕は、
子供の頃から早慶に憧れ続けていたので、
他の大学に行くという
選択肢はありませんでした。
僕はそもそも「大学に行きたい」と
思ったことがないのです。
僕は「早慶に行きたい」だけで、
「大学に行きたい」わけではなかったのです。
では、なぜ僕は
そこまで早慶に行きたかったのか?
はっきり言いましょう。
遊びたかったからです。
いや、遊びまくりたかったからです。
僕は超ド田舎で育ってきたので、
早く都会に行きたかった。
その都会の大学の中で
一番遊びまくれそうなのは
僕の中では早慶だったのです。
このように話すと非難が殺到します。
「そんな動機で受験するとは何事か!」と。
でも、逆に僕は聞きたい。
「それの何が悪いんですか?」
「遊びたくて早慶を受験するのは犯罪ですか?」
「それで僕は誰かに迷惑をかけましたか?」
つまり、これも大人たちの
「常識」や「価値観」の押し付けなんですよ。
大学を受験する時には、
「○○を学びたい」「○○を目指す」のような
崇高な志望理由があるべきだという。
その常識や価値観の押し付けのせいで
どれだけの子供たちがやる気を失っているのか、
「大人はしっかり考えろよ!」と
僕は強く言いたいですね。
たしかに、例えば、
「医者になりたい」
「だから医学部を受験する」
というのは僕も立派だと思いますよ。
僕にはそんな崇高な
志望理由は全くありませんでしたので、
そういう人の事を尊敬します。
しかし、尊敬する気持ちはありますが、
僕もそうなりたいかと言うとそれは違います。
なぜなら、そんな崇高な志望理由で
大学を受験する人ばかりになってしまったら、
社会のバランスが取れないと思うからです。
崇高な志望理由を持っている人もいれば、
僕みたいにチャランポランな人間もいる。
そうやって、この社会は
成り立っているのではないでしょうか。
べつに、
「遊びたい」という理由で大学を受験し、
入学後に本当に遊びまくったとしても、
その後に自分を見直す機会を作れば
それでいいのではないでしょうか。
少なくとも、
大学を受験する時に
「そんな理由で大学を受験してはいけない!」
と否定されてやる気をなくして、
真剣に受験勉強をすることなく
自分が行きたくもない大学に入学して
無気力のまま生きていくのに比べれば
よっぽどマシだと思うのは僕だけでしょうか。
どんな志望理由であっても、
それを貫いて受験勉強をやり切って、
何らかの成果を出すことができれば
それが「成功体験」になります。
成功体験ができれば、
それが「自信」になります。
その自信によって、受験が終わった後も、
他の事にチャレンジする勇気が出てきます。
「そんな理由で受験してはいけない」と否定され、
それが原因でやる気を失って何のチャレンジもせず、
何の成功体験も作ることができない人生よりは
よっぽどマシだと思うのですが…
我々は常に、
世間の常識や他人の価値観・環境に
縛られて生きています。
これらに縛られているから世界が狭くなり、
その狭い世界の中で物事を考えているから
やりたい事が見つからないのです。
その呪縛から解き放たれて
広い世界で自由に物事を考えれば、
やりたい事が見つからないなんて
絶対にありえません。
そして、さらに重要なのは、
呪縛から抜け出すのか抜け出さないのかは
「あなた自身の選択」だという事です。
どちらが正しいというわけではありません。
そもそも、正しい一つの正解があるのは
受験勉強でやっているテストの解答だけで、
その他の事には正解なんかありません。
「他人の価値観に従って生きるのか」
「他人の価値観から抜け出して生きるのか」
どちらか一方が正しいわけではなく、
それはあなたの選択だという事です。
そして、自分で選択したからには、
それは全て自分の責任だという事です。
ここまで覚悟を決めて決断すれば、
どちらを選択した場合でも
「やる気が出ない」という悩みとは
永久に無縁になります。
結局のところ、
覚悟を決めて決断していないから
やる気が出ないという事です。
今回の記事では、
「やりたい事が見つからない理由」として
僕の体験談を交えながらお話ししました。
合わせて以下の記事も参考にしてください。
行動を起こす事の重要性について、
具体例を挙げながら解説しています。