こんにちは、KEIです。
前回の記事では、
屋島の戦いでの源義経の
戦いぶりについてお話ししました。
僕の個人的な意見ですが、
この屋島の戦いにとてもよく似ている
戦いがあると思っています。
それは「厳島の戦い」です。
厳島の戦いは、
1555年10月に安芸国厳島で起こった
毛利元就と陶晴賢との間の戦いです。
(屋島の戦いの370年後)
両軍の兵力については諸説がありますが、
僕は次のように理解しています。
毛利軍:約 2,000
陶 軍:約10,000
つまり、兵力的には
陶軍が圧倒的に有利な状況でしたが、
この戦いは毛利軍の大勝利で
決着がつきました。
大将の陶晴賢が戦死するほどの
陶軍は大惨敗でした。
(自害との説もあり)
厳島に本陣を置く陶軍に対し、
毛利軍は対岸の地御前に本陣を
置いていました。
そして、嵐の夜に船を出し、
気付かれないように陶軍の背後に回って
夜明けと同時に奇襲をかけたのです。
これは、どこかで
聞いた話ではありませんか?
そうです。
屋島の戦いでの義経の動きと、
厳島の戦いでの元就の動きが
とてもよく似ているんです。
兵力は敵の方が圧倒的に多くて、
まともに戦っては勝ち目がない。
だから、嵐の夜に船を出して、
気付かれないように敵の背後に回り込み、
少人数で奇襲をかけているんです。
この時、元就は59歳。
すでに息子の毛利隆元に
家督を譲っていました。
元就が嵐の夜に
「今から船を出す」と言った時は、
長男の毛利隆元も
次男の吉川元春も
三男の小早川隆景も
その他の重臣たちも
全ての人が反対したそうです。
その理由は単純です。
嵐の夜に船を出したりしたら、
船が沈んで味方が全滅するリスクが
あるからです。
屋島の戦いの時に、
義経の意見に反対した梶原景時と
全く同じです。
でも、義経と元就にとっては、
船が沈んでしまう事は
大したリスクではなかったのでしょう。
そんな事よりも、
天気が良くて見晴らしが良い日に、
少数の味方が敵に包囲されてしまう事の方が
はるかに大きなリスクだったのです。
だから、天気と見晴らしが悪く、
味方の動きが敵に気取られない嵐の夜が
義経と元就にとってはチャンスだったのです。
義経も元就もこのチャンスを生かして、
嵐の夜に敵の見張りの目をかいくぐって
背後に回り奇襲をかけて大勝利を収めました。
つまり、勝者と敗者とでは、
「何がリスクなのか?」が
全く違って見えてしまうのです。
敗者にとっては大きなリスクであっても、
勝者にとっては大したリスクではない。
そういう事がよくあるのです。
これは受験勉強でも全く同じです。
多くの人はリスクを恐れすぎて、
さらなる大きなリスクを招いています。
塾や予備校で大量の授業を
受けている人たちがその典型例です。
多くの人は出題可能性がある分野を
全て勉強するために塾や予備校に行きます。
だから、大量の講座を受講し、
毎日毎日、授業ばかりを受けています。
彼らにとってのリスクとは、
「自分が勉強してない所が
入試本番で出題されてしまう事」です。
だから、そのリスクを減らすために、
塾や予備校で大量の講座を受講するのです。
でも、僕にとってのリスクは、
そんな事ではありません。
僕にとってのリスクとは、
「不合格になってしまう事」だけです。
だから、僕にとっては、
勉強してない所が入試で出題されたとしても、
合格できるならそれでも構わないのです。
僕がよく言っている事ですが、
何かを上達させるためには、
1.理解する(インプット)
2.練習する(アウトプット)
の2つのステップが絶対に必要です。
そして、思い出してもらいたいのですが、
初めて逆上がりができるようになった時も、
初めて掛け算九九が言えるようになった時も、
インプットよりもアウトプットに
より多くの時間を使ったはずです。
先生から逆上がりのやり方を
教えてもらった時間よりも、
ひたすら練習した時間の方が
多かったですよね?
先生から掛け算九九を
教えてもらった時間よりも、
ひたすら練習した時間の方が
多かったですよね?
普通の人なら
そうなるはずなんですよ。
何回も繰り返しアウトプットをして
全ての事を上達させてきたはずなんです。
にもかかわらず!
塾や予備校に通って大量の授業を受けて、
インプットばかりしている人が多すぎます。
あんなに大量にインプットをして
アウトプットする時間を
どうやって作るつもりですか?
1日は24時間しかありません。
1年は365日しかありません。
その限られた時間の中で、
あんなにたくさん塾や予備校に行って、
残りの時間だけで
十分なアウトプットができますか?
つまり、多くの人は、
「勉強してない分野が入試に出てしまう」
というリスクを避けるために
塾や予備校で大量の講座を受講して、
それが原因でもっと大きなリスクを
背負ってしまっているのです。
その大きなリスクとは、
「アウトプット不足で全て中途半端になる」
というリスクです。
多くの人がこのリスクを負う事になり、
ほとんど(全く)成績が上がらないまま
第一志望を諦めていきます。
多くの人は、
嵐の中で船が沈んでしまう事を
リスクだと考えます。
そして、そのリスクを避けた結果、
少数の味方と敵の大軍が正面から激突して、
全滅する事になります。
このような運命を辿った武将は
星の数ほどいるでしょう。
でも、義経や元就のような賢人は、
嵐の中で船が沈んでしまうリスクよりも
少数の味方と敵の大軍が正面衝突する事の方を
大きなリスクだと考えます。
だから、嵐の夜に
敵に気付かれないように船を出し、
背後に回り込んで奇襲をかけました。
受験勉強でも全く同じです。
圧倒的多数派の人たちが
嵐の中で船が沈んでしまうリスクを
避けようとするのと同じように、
自分が勉強していない分野が
入試本番で出題されてしまうリスクを
避けようとしてしまうのです。
だから、塾や予備校に通って
大量の講座を受講してしまいます。
その結果、
深刻なアウトプット不足に陥って、
全く成績が上がりません。
本当のリスクは
そんな事ではないのです。
受験にとっての最大のリスクは、
「不合格になってしまう事」です。
だから、合格できるのであれば、
自分が勉強していない分野が
入試本番で出題されてもいいんですよ。
その他の問題で合格点を取れれば、
未習分野が出題されても困らないですよね。
だから、僕は、
受験科目であっても
必ず出題される分野であっても、
「合格のためには不要」と判断したら、
その科目や分野の勉強をやめました。
そして、
「合格のために必要」と判断した
科目・分野のアウトプットを何回も繰り返し、
そこだけで確実に
合格最低点を超えるための勉強をしました。
具体的に言うと、
古文・小論文・英作文などは、
「合格のためには不要」と判断しました。
これらは慶応や早稲田で
毎年必ず出題されていましたが、
僕にとっては不要でした。
だから、僕はそれらの授業に
出席するのをやめてしまいました。
時間がもったいないですから。
周りの人たちはそんな僕の事を
「アイツは絶対落ちる」と言っていましたが、
彼らの目には僕が
嵐の夜に船を出そうとする武将たちと
同じに見えたのでしょうね。
大多数の人たちは、
嵐の中で船を出そうとする事を
「リスクが大きすぎる」と言います。
受験科目・分野を捨てる事を
「リスクが大きすぎる」と言います。
でも、冷静に考えてください。
本当にそれは
大きすぎるリスクですか?
そのリスクを避けるために
もっと大きなリスクを
抱えてしまっていませんか?
あなたにとって
許容できるリスクとは何なのか?
許容できないリスクとは何なのか?
これらをよく考えて、
自分にとって最適な「戦略」と「戦術」を
しっかりと練ってください。
僕の受験勉強の戦略と戦術は、
全て「NEO UNIVERSE」で公開しています。
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参考にしてみてくださいね。