「おいKEI、いくらなんでもこれはありえない!」
「お前は周りに悪影響を与えているぞ!!」
中学時代、期末テストの返却があった後に、僕が教師から言われた言葉です。
僕は家庭科のテストで「7点」を取ってしまったからです。
当時の僕は、定期テストの5科目500点満点で492点、実力テストの5科目500点満点で497点を取って、ダントツの学年1位になったりしていました。
その僕が家庭科で「7点」を取ったので、教師から上記のような事を言われたのです。
僕は「家庭科」という科目に全く面白味を感じませんでした。
授業もほとんど聞いていなかったし、テスト中は何問か適当に答えておいて、残りの時間は寝ていました。
だから正直、「0点」だと思っていました。
でも、返却されたら「7点」だったので、「こんなに取れたの?」とビックリしていました(笑)
にもかかわらず、教師は怒っています(苦笑)
僕は「なんで?」と思いながら、ずっと聞き流していました。
僕に言っても仕方がないと思ったのでしょう。
3者面談の時に教師は、僕の母に向かって強い口調で言いました。
「主要5科目はほとんど100点なのに、なぜ家庭科は7点なんでしょう?」
「ありえない。周囲に悪影響を与えている。次は絶対にこんな点数を取らせないでもらいたい。」
素直でお人好しな母は、ひたすら教師に謝っていました。
これが日本の学校教育の実態です。
好きで得意な事をひたすらやらせてあげるという寛容さもなければ、嫌いで苦手な事には目を瞑ってあげるという寛容さもありません。
日本という社会は、何かが大きく突き抜ける事も許さないし、何かが大きく欠ける事も許しません。
だから、好きで得意な科目をもっと伸ばしてあげるという事よりも、嫌いで苦手な科目をせめて人並みの点数を取らせる事に重点を置くのです。
その結果、多くの子供が個性も何もない、平凡な人間になります。
そして、好きで得意な事をやり続ける事に罪悪感を感じ、嫌いで苦手な事を我慢してやる事に美徳を感じるようになります。
まさに、社畜だらけで覇気のない日本社会を象徴している教育システムです。
理不尽な上司がいても我慢し、満員電車が嫌でも我慢し、何もかも我慢・我慢で耐え続ける日本人です。
(僕は我慢できなかったので辞めて独立しました)
毎日毎日、我慢・我慢・我慢。
何のために生まれてきたのでしょうか?
我慢するために生まれてきたのでしょうか?
僕の家庭科「7点」の時もそうです。
嫌いで苦手な事には目を瞑ってあげるという寛容さが、日本の教育には全くありません。
僕は「やりたくない」というメッセージを明確に発しているのに、それを受け止めようとしてくれません。
それどころか、「お前は周りに悪影響を与えている」という理屈を振りかざして、僕に無理やり嫌な事をやらせようとしてくるのです。
高校に行っても同じでした。
僕は「古文」や「生物」が大っ嫌いで赤点を連発していたのですが、それに目を瞑ってくれる寛容さがありません。
得意科目をひたすら伸ばすという教育は受けさせてもらえず、苦手科目の「赤点補習」を僕に受けさせてきました。
馬鹿らしかったので、僕はゲーセンに行って赤点補習をバックレました。
そして職員室に呼び出され、罰として出された課題も破り捨てていました…
僕はこれほどまでに「古文」が大嫌いだったのですが、問題が起こりました。
僕が受験する予定の早稲田大学で「古文」が出題されるのです。
だから、僕は考えました。
「古文」を勉強しなくても早稲田に合格できる方法をです。
入試本番では、「古文」は全てヤマ勘でマークシートを塗りつぶしました。
それでも早稲田に合格できる方法を、僕は事前に見つけておいたからです。そして合格しました。
慶応入試でも、「小論文」と「英作文」が僕は大嫌いでした。
だから、これらを勉強せずに本番では適当に解答用紙を埋め、その他の科目・分野で点数を取って、僕は慶応に合格しました。
こうやって、嫌いで苦手な科目・分野を捨ててしまう僕のやり方を、「そんなの勉強じゃない!」とか「邪道だ!卑怯すぎる!!」と言う人がいます。
でも、本当にそうでしょうか?
東工大に現役合格した僕の教え子のHくんは、「数学」が好きで得意でした。
彼の「数学」の才能は誰の目にも明らかで、中学生の時から「東工大に行きたい!」と言っていました。
それに対して、Hくんの「英語」の成績は、まさに悲惨です(笑)
そこそこ「英語」で点数を取ってきた僕の目から見れば、「これは酷い…」と絶句するレベルです。
こういう子に対して、無理やり「英語」を勉強させる事が、本当に「教育」と言えるのでしょうか?
好きで得意な「数学」をさらに伸び伸びと勉強させてあげる事が、本当の「教育」ではありませんか?
苦手な科目なんて、勉強してもそう簡単には成績は上がりません。
だから苦手になっているんです。簡単に上がるなら最初から苦手にはなりません。
それに「嫌い」なんです。
だから、やる気も起きません。
やる気が起きないのに無理やり勉強して、それでも苦手だから成績は上がらない。
そんなの悲惨すぎませんか?
こんな事を繰り返していたら勉強自体が嫌いになって、最悪の場合は「数学」まで嫌いになってしまいますよ。
これこそ、子供の「才能」を潰している事にならないでしょうか?
そこで役に立つのが僕の経験です。
僕は嫌いで苦手な「古文」「小論文」「英作文」を勉強することなく、慶応と早稲田に合格したからです。
でも、僕の経験をそのまま伝えても、何の役にも立ちません。
僕の受験科目とHくんの受験科目は違いすぎるからです。
だから、僕は自分の経験を抽象化して、徹底的に「本質」に焦点を当てて、これを理論化しました。
そして、これを「入試マスタープログラム」と「NEO UNIVERSE」で公開しました。
Hくんは、抽象度の高い思考レベルでこの「本質」を理解し、自分の受験科目に合わせてこれを「具体化」しました。
だから、僕の講座では、文系・理系・国公立・私立に関係なく、成果を出す人が続出しているのです。
Hくんは、入試マスタープログラムやNEO UNIVERSEで学んだ後、自分で「英語を捨てる!」という決断をしました。
そして、得意な数学を徹底的に磨き上げて、僕が知ってるだけでも受験生時代に2度ほど、全国模試で数学1位になっていました(偏差値は80超)
入試本番でも、英語は涙が出ちゃうくらいに悲惨な点数でしたが(苦笑)、合計点では余裕で合格最低点を超えています。
「楽勝」と言っても過言ではないくらいの完全勝利です。
僕は、数学の才能を生かすためにも、Hくんは絶対に東工大に入るべきだと思いました。
一人一人の才能を生かす事が、日本の将来を明るくする事につながると思うからです。
でも、数学だけでは合格できない。
他にも受験科目があるからです。
とは言っても、苦手な英語は、勉強してもそう簡単には成績は上がらない。
しかも、嫌いだからやる気も起きない。最悪は、得意な数学にも悪影響が出る。
だから僕は、得意科目に勉強時間を集中させて、苦手科目にあまり勉強時間を割かなくても合格できる方法・考え方を、自分の講座で教えてきたんです。
これって卑怯ですか? 邪道ですか?「勉強」とは言えませんか?
僕は、寛容さが全く足りない日本の教育のあり方に、一石を投じたつもりなのですが…
子供に嫌いな科目・苦手な科目を無理やり勉強させて、もっと勉強を嫌いにさせてしまったら、それこそ子供の才能を潰している事にならないでしょうか?
それよりも、好きで得意な事を伸び伸びと思う存分にやらせてあげて、その才能を世のために生かしていくべきではないでしょうか?
僕はよく、「苦手科目なんか捨てちまえ!」「そんなものは勉強するな!」と言っています。
この僕の乱暴な言葉遣いが、余計に「邪道だ!」「そんなの勉強とは言えない!」と思わせてしまうのかもしれません。
でも、この寛容さが全く足りない日本の教育を変えるためには、多少は乱暴な言葉遣いも必要だと思うんですよ。
僕は自分の考えが少数派である事をよく理解していますが、
子供の才能を潰さないため、寛容さが足りない日本社会を変えるために、これからも戦い続けます。
「好きで得意な事をやれ!」
「嫌いな事はやらなくていい!」と叫びながら。
(注1)
僕が早慶にダブル合格した方法・Hくんが東工大に合格した方法は、「Bタイプ」の入試問題で使える方法です。
「Aタイプ」の入試問題では、苦手科目を完全に捨てることはできません(ある程度は捨てれます)
Aタイプ・Bタイプの違いは、長くなるのでここでは割愛しますが、「NEO UNIVERSE」で詳細に解説したので、受講生はそちらを確認してください。
(注2)
僕は自分の考えが少数派意見である事をよく知っています。今までどこに行っても少数派でしたから(笑)
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