こんにちは、KEIです。
メルマガ読者である高3のHくんから、
次のような質問が届きました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こんばんはHです。
志望動機についての質問です。
自分が○○大を目指すのは
向上心のある友を見つけ
切磋琢磨していくことが一番の理由です。
勝手な解釈ですが、
○○大などの一流大学には
上を目指す人が多いと感じます。
求めている人の確率が
パレードの法則であるのは理解しています。
最早、一人で高める努力をしていないと
言われるかもしれないリスクも承知の上です。
ここまでを踏まえて尚、
動機は弱いでしょうか?
返信は必要ありません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【KEIの回答】
今回の質問が来たのは、僕がよく、
「受験勉強を始める前には
明確に志望校を決めなくてはいけない」
「そこに合格したいという強い気持ちが
受験勉強を最後までやり抜く原動力になる」
という話をしているからだと思います。
そして、自分の志望動機が、
最後まで受験勉強を
やり抜けるものなのかどうか不安になって
今回の質問をしてきたのでしょう。
結論から言いますと、
それは僕にはわかりません。
どれくらい思いが強いのかは、
本人にしかわからないからです。
だから、今回は、
その志望動機が最後まで
受験勉強をやり切れるものなのかどうかの
判断基準をお教えします。
それは、
「寝ても覚めても
その事ばかりを考えてしまうかどうか」
です。
僕は遊びまくりたいから、
慶応大学を受験しました。
寝ても覚めても
遊びたくて遊びたくて仕方がなくて、
その事ばかりを考えていました。
この気持ちが受験勉強を
最後までやり抜く原動力になりました。
この明確な志望動機がなければ、
僕は合格できなかったでしょう。
そんな僕から見れば、
今回の質問者が言っている事は
やや「キレイ事」に見えます。
でも、それは僕の個人的な意見です。
僕みたいに「欲」が原動力になる人もいれば、
「キレイ事」が原動力になる人もいるからです。
以下でその事例をお話しします。
「生涯のライバル」と言われ、
比較される事も多い武田信玄と上杉謙信。
この2人には、一体、
どのような違いがあるのでしょうか?
様々な違いがあるとは思いますが、
最も大きな違いは次の事だと僕は思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
武田信玄は人間の欲を肯定している
上杉謙信は人間の欲を否定している
~~~~~~~~~~~~~~~~~
例えば、武田信玄は、
戦をして敵国を滅ぼして、
その国の姫を側室にして子供を産ませています。
(※)
信玄の後を継いだ諏訪四郎勝頼は
まさにその一人です。
それに対して、上杉謙信は、
人間の性欲を否定していて、
生涯妻を娶らず子供も作っていません。
また、武田信玄は、
戦の際には敵の重要人物に
甲州金(甲斐で産出される金)を渡して
買収作戦をよくやっていました。
人間の欲につけこんでいたのです。
対して、上杉謙信は、
卑怯な小細工をとても嫌い、
戦はいつも正面からぶつかっていました。
正々堂々、敵と切り合っていたのです。
また、武田信玄は、
自分の領国を広げるために
生涯ずっと戦に明け暮れていました。
欲を満たすために戦っていました。
対して、上杉謙信は、
欲のために戦をする信玄が許せなくて、
彼に天罰を与えるために戦をしていました。
このように2人の考え方・価値観は、
正反対と言っていいくらいに違います。
全く相容れません。
では、どちらが正しいのでしょうか?
信玄・謙信のどちらが正しくて、
どちらが間違っているのでしょうか?
これも僕個人の意見ですが、
どちらが正しいかなんて
絶対に誰にもわかりません。
どちらが正しいかを決めてしまったら、
それはその人の傲慢です。
価値観の押し付けです。
キレイ事を好む人たちは、
上記の信玄と謙信の違いを知ると、
信玄を否定して謙信を肯定します。
そして、信玄を悪逆非道として、
謙信が正しいと決めつけます。
でも、本当にそうなのでしょうか?
欲を満たす事は間違っていて、
欲を捨てる事が正しいのでしょうか?
信玄と正室・三条の方との間には
3人の男子が生まれていました。
本来であれば、この中から、
世継ぎが選ばれるはずでした。
しかし、長男の太郎義信は
信玄に謀反を起こして廃嫡され、
次男の二郎は赤子の時に大病を患い、
目が見えなくなって出家しました。
三男の三郎は10歳の時に早世しました。
なので、諏訪家を滅ぼして、
その諏訪家の姫に産ませた四郎勝頼が
信玄の後を継ぎました。
信玄が欲を満たして生きたおかげで、
武田家は世継ぎを失わずにすみました。
対して、上杉家は、
謙信には実の子がいなかったので、
死後は2人の養子が家督争いをしました。
謙信は急に病になって倒れ、
意識を取り戻すことなく亡くなったので、
遺言もなかったからです。
この上杉景勝(謙信の甥)と
上杉景虎(北条家からの養子)の争いは、
上杉家を滅亡の危機にさらしました。
(御館の乱)
謙信が人間の性欲を否定して生きた事が、
このような事態を招いてしまったのです。
また、信玄は甲州金を渡して、
戦の際には敵の重要人物を買収していました。
その人物を裏切らせて、
自分たちに有利に動かしていたのです。
これは卑怯なのかもしれません。
でも、このような作戦を取ったおかげで、
敵も味方も被害を最小にできました。
事前に敵を買収して、
最初から勝ちが決まっている状態で
戦を開始していたからです。
だから、戦での死傷者の数を
最小限にすることができたのです。
それに対して、上杉謙信は、
小細工を嫌っていつも正面突破なので、
戦では死傷者が多く出ていました。
いつも正面から切り合っていたので、
敵も味方も大きな被害が出たのです。
また、武田信玄は、
自分の領国を広げるために、
生涯ずっと戦に明け暮れていました。
でも、領地が広がったおかげで、
甲斐の国はますます豊かになって、
領民たちは喜んでいました。
もともと甲斐は水害が多く、
海にも面していないので産物も少なく、
とても貧しい国だったからです。
それに対して、上杉謙信は、
自分の領地を広げる事には
全く興味を持っていませんでした。
信玄みたいに秩序を乱す人間に、
天罰を与えるために戦をしていたのです。
でも、そのせいで何回も戦をしても、
越後の国は全く豊かになりませんでした。
それでも戦の時には税を徴収されたので、
民・百姓は貧困にあえいでいました。
これを知っても、
「信玄が間違っていて謙信が正しい」
と言えるのでしょうか?
欲を満たす事は間違っていて、
欲を捨てる事が正しいと言えるのでしょうか?
僕の結論としては、
どちらが正しくてどちらが間違っているかは
絶対に誰にも決めることはできない。
それを決めてしまったら、
それはその人の傲慢である。
だから、
どちらが正しいかという視点ではなく、
自分がどちらを選択するかがとても重要。
自分が本気で頑張れる事を
自分の責任で選択すればいい。
自分が本気で頑張れるのであれば、
欲を満たすために行動してもいいと思う。
(当然、法律の範囲内で)
自分が本気で頑張れるのであれば、
どれだけ下品な志望動機で
受験勉強をやってもいいと思う。
本来は誰にでも「欲」はあって、
それを満たす事が行動の動機になるからだ。
これが人間の自然な姿だと僕は思う。
でも、「キレイ事」を言っていたら、
全ての人が失敗するとも言い切れないと思う。
なぜなら、上杉謙信には私利私欲がなく、
本気で秩序を乱す人間を成敗しようとしていたからだ。
彼は自らを「毘沙門天の化身」と
本気で信じていたと思われる。
そして、寝ても覚めても、
欲にまみれて生きる人間に対して
天罰を与えようと考えていた。
だから、
これくらい強い行動動機になるのであれば、
「キレイ事」でもいいと思う。
上杉謙信くらい本気になれるのなら。
「弱い人を救いたいから弁護士になりたい」
「だから○○大学の法学部を目指します!」
このような事を言ってくる人がいるが、
本当に寝ても覚めても
弱い人を救いたくて救いたくて仕方がないのなら、
それでも全然OKだと思う。
(「現代の上杉謙信」と言えるだろう)
でも、そうではないのなら…
その志望動機で受験勉強を
最後までやり切るのは不可能だ。
もっと自分に正直になって、
本音で話をした方がいい。
話を戻しましょう。
今回の質問に対しての僕の答えです。
その動機で十分なのかどうかは
僕にはわかりません。
あなたの心の中の事は
僕にはわかりませんから。
寝ても覚めてもその事を考えてしまうくらい
強い動機ならそれで大丈夫だと思います。
でも、そうではないのなら、
その動機で受験勉強を最後までやり切る事は
不可能だと思います。
以上が僕からの回答になります。
(参考記事)